タイガー立石に妻や家族はいるの?

多彩な才能を持つ芸術家のタイガー立石さん(本名は立石紘一/タテイシコウイチ)ですが、プロレスラーのような響きの名前が印象的ですよね。

タイガー立石さんのポップアート、ギャグ漫画、絵本、陶彫は、変幻自在で摩訶不思議な作品が多く、とても印象的で見る人を魅了しますね。

そんなタイガー立石さんに妻や家族はいらっしゃるのでしょうか。気になるので調べてみました。

こちらの記事では、タイガー立石さんの妻や家族について紹介していますので、興味のある方は是非読んでみてくださいね。

タイガー立石の妻はイチゲフミコ

タイガー立石さんの妻は、イチゲフミコさんです。

現在は芸術家として創作活動をしているようです。

イチゲフミコさんは1940年、東京で生まれました。

戦時中はご両親の実家である茨城県の水戸というところに、疎開していました。

終戦後に東京の品川区荏原中延にある小学校に通い、当時食糧難で給食がまずかったとお話されていました。

 

小さい頃から絵を描くのが好きで、普通科の高校を卒業した後、大学は多摩美術大学の油彩科に進まれました。

多摩美術大学の油彩科では、後の多摩美術大学名誉教授である末松正樹さんに教えてもらっていたそうです。

タイガー立石さんとイチゲフミコさんの出会い

イチゲフミコさんが大学を卒業した翌年(1964年の3月)23歳の時、タイガー立石さんは22歳の時ですが、上野の都美術館(現:東京都美術館)にアンデパンダン展を鑑賞しに行きました。

アンデパンダン展では、タイガー立石さんの『汝、多くの他者たち』という油彩が展示されていました。

アンデパンダン展というのは、無審査・無賞・自由出品を原則とする美術展で1884年にフランスのパリで初めて開催され、その後、世界中に広がった展示会です。

東京でも1947年に東京都美術館ではじまり、以後、毎年2月下旬から3月上旬にかけて定期的に催されています。

 

上野の都美術館出口のところで、タイガー立石さんが向こうから歩いてきて、会話された事がお付き合いのきっかけになったそうです。

以前からタイガー立石さんとは知り合いのアーティストの家で会った事もあり、作品は知っていたけど直接話されたことはなかったそうで、アンデパンダン展に展示されていた『汝、多くの他者たち』という作品にすごくインパクトがあって魅力を感じたイチゲフミコさんは、作品について会話されたのだそうですよ。

 

その年のイチゲフミコさんは、アンデパンダン展に作品を出展されてはいなかたのですが、篠原有司男さんの「Off Museum」(椿近代画廊、1964年6月17日~22日 新宿)という展覧会にポップアートのアクリル画を2点展示されていたそうです。

イチゲフミコさん自信は、アンデパンダン展には学生の時に2回、作品を展示した事があるとの事。

 

意気投合されたお二人は趣味も合い、お二人とも映画が好きで、最初のデートは三本立ての黒澤明監督のオールナイト映画だったそうです。

東京プリンスホテルで開催されていたダリ展(1964年9月8日~10月18日)も一緒に見に行ったそうですよ。

タイガー立石の結婚後の暮らしとミラノへの移住

ご結婚されてからは、東京都の広尾の六畳一間のアパートに住んでいたそうですが、その頃タイガー立石さんに日本画廊の「3人の日本人展」の話がありました。

『アラモのスフィンクス』、『明治百年』(1965年)、『大農村』(1966年)、『荒野の用心棒』(1965年)、などの作品制作のために妻であるイチゲフミコさんの大田区のご実家に夫婦で居候して、作品を描き上げたそうです。

 

1969年3月、タイガー立石さんと妻のイチゲフミコさんはイタリアミラノへ移住しました。

イタリアへ行く事になったきっかけは、当時漫画家として雑誌のお仕事をもらっていたタイガー立石さんですが、そのまま続けていると『漫画家』という枠にはまってしまうのが嫌だったのだそうです。

冒険したい、違う事にチャレンジしたいという強い想いがあったのだそうですよ。

 

ニューヨークに行く事も考えたそうでうが、当時イタリアに友人が2人いた事もあり、イタリアに決めたそうです。

妻のイチゲフミコさんの方が先にイタリアへ行き、夫のタイガー立石さんは日本の仕事を片付けてから数か月後にイタリアへ行きました。

お二人とも、イタリア語は特にできなかったそうですが、少しだけ勉強されて「もういっちゃえ!」という感じだったそうです。

すごくパワフルはご夫婦ですね。

 

イタリアのミラノでは最初は友人のところに3ヶ月くらいいて、それからヴィア・ブレラ(Via Brera)近くのオルソ(Via dell’Orso)という職人街のような町のブレラ美術学校の傍に越して、もう一回目の前のもうちょっと大きなアパートに越して、それからヴィア・サングレゴリオ(Via San Gregorio)の、イタリアでいちばん長くいたところに越したとの事で、何度も引っ越しをされたそうです。

1970年代のイタリアは共産化されて、ご飯を食べていても爆弾で部屋が揺らぐ事もありましたし、消費税は17%もありました。また、引っ越して部屋を借りようと思っても、オーナーの人が警察に一緒に行って「この人はテロリストではない」という書類にサインしないといけなければいけなかったので、色々と大変だったようです。

 

生活の不自由もありましたが、イチゲフミコさんはイタリアの生活では、自分のためにドローイングを描いたり、自動車の免許をとり、夫であるタイガー立石さんと当時飼っていた「タカタカ」という犬を乗せて自動車旅行をするなど、充実した日々を過ごされたようです。

 

夫のタイガー立石さんは、イタリアではやはり絵が描きたくなって、コマ割りの油彩の絵画を描きました。漫画と絵画を融合させたような形式ですね。漫画的なアイデアでも絵として見せるということがヨーロッパでは大事だったそうです。

その頃の絵がムーン・トラックス “MOON TRAX” (タイガー立石のコマ割り絵画劇場)(工作社、2014年)に掲載されています。

その後、コマ割りの油彩の絵画シリーズがきっかけになって、ソットサス(イタリアの建築家・デザイナー)の研究所で働くようになったそうです。

 

その後、タイガー立石さんにはオリベッティ社の正社員にならないかという話や、タイガー立石さんがイラストの仕事を受けていたFABRIという出版社からイラストの会社をやらないかと話しを持ちかけられたそうですが、ビジネスマンになったり、誰かと仕事をするというのは違うという事で、全て断って仕事も辞めたそうです。

そのことに関して妻のイチゲフミコさんは、辞めちゃって別のことをやるっていうのが好きだからという理由と、タイガー立石さんはどんな事があってもビジュアル関係の仕事だったら生きていけると信じていたので、反対などはしなかたそうです。

タイガー立石とイチゲフミコ日本へ帰国

1982年、お二人は日本に帰国されました。

理由は、やはり税金が高く住みにくかったようですし、永住権をとるまでの理由はなかったとの事で、生活を変えたいという思いが強かったようです。

また、タイガー立石さんのご両親が年をとってきたという事もあったし、日本で『虎の巻』という漫画を出版されるというきっかけもあったので帰国されたそうです。

 

タイガー立石さんは、1985年から千葉県市原市を拠点に活動を再開し、絵画や作陶を立石大河亞(たていし たいがあ)、漫画や絵本はタイガー立石の名前で発表し、1990年代には陶彫(やきものの彫刻)の作品も制作を始めました。

妻であるイチゲフミコさんの学生時代の友人が、縄文土器のギャラリーをされていて、粘土を教えてくれた事がきっかけとなったそうです。

 

1995年に養老渓谷にアトリエ兼住居を移し、1998年に56歳でこの世を去られました。

妻のイチゲフミコさんは、彼はあれから5年でも10年でももし生きていたらどんな仕事していたかなと思うと、面白い仕事をしてたんじゃないかなと思うとおっしゃられていました。

 

タイガー立石さんとイチゲフミコさんは、ご結婚されてから15回は引っ越しをされたそうです。

安定を好まないタイガーさんの生き方に共感し、信じてついてきてくれたイチゲフミコさんの存在はとても大きかった事でしょう。

現在イチゲフミコさんは、小さなドローイングを描いたりステンレスワイヤーを使って立体作品を制作されたりして、人生を大事に生きていらっしゃるようです。

今後も、イチゲフミコさんの作品展が開催される時は見に行ってみたいですね。

タイガー立石とイチゲフミコの子どもは?

タイガー立石さんとイチゲフミコさんのお子さんについては情報を得る事ができませんでした。

イタリア時代の思い出を語るイチゲフミコさんの話にはお子さんの話はなかったので、二人の間にお子さんはいないのではないかと推測されます。

イチゲフミコさんがイタリアでドライブをした時も、「旦那と犬を乗せて」という表現でした。

何か情報が分かり次第追記致します。

まとめ

タイガー立石さんの妻はイチゲフミコさんという1歳年上の女性です。

お二人は、タイガー立石さんの絵が展示されていたアンデパンダン展で親交を深めたようです。

ご結婚されてからも、タイガー立石さんは安定を好まず、イタリアへ行ったり、何度も引っ越しをしました。

当時のイタリアは共産主義で消費税も高いし住みにくかったようですが、一方で充実した日々を送られていたようです。

日本に帰ってきてからも、タイガー立石さんの創作活動を支えていたイチゲフミコさんは、タイガー立石さんの一番の理解者であり、信頼し合える妻であった事がうかがえます。

タイガー立石さんを見送った現在、イチゲフミコさんは、小さなドローイングを描いたりステンレスワイヤーを使って立体作品を制作されたりして、人生を大事に生きていらっしゃるようです。