ノスタルジックな昭和の風景を描いた画家の谷内六郎(たにうちろくろう)さんは、週刊新潮の表紙絵を25年間も描き続けた事で有名ですね。
そんな谷内六郎さんに家族はいらっしゃったのでしょうか。
こちらの記事では谷内六郎さんの家族である妻や娘はどのような方なのか、紹介していきたいと思います。
興味のある方は是非読んでみてくださいね。
谷内六郎の家族は?妻は熊谷達子(くまがや みちこ)
谷内六郎さんは、1958年(37歳の時)結婚されました。
谷内六郎さんの妻は熊谷達子(くまがや みちこ)さんという方です。
谷内六郎さんのファンであった熊谷達子が、谷内六郎さんの元を訪れるうちに親しくなり結婚に至ったそうですよ。
熊谷達子さんは、谷内六郎さんと結婚する以前、1950年代後半を中心に人形作家として活躍されていました。
中学生の頃から人形を作っていたのだそうですよ。
1950年代後半に、トッパンの人形絵本『マッチ売りの少女』『七ひきのこやぎ』『へんぜるとぐれーてる』、人形アニメーション『ペンギンぼうやルルとキキ』などの代表作を、劇作家の飯沢匡(いいざわただす)さんやデザイナーの土方重巳(ひじかたしげみ)さんらとともに手がけました。
そして今回の #土方重巳の世界、私にとっては日本一の展示内容でした❣️人形絵本に登場するお人形たち(谷内六郎氏妻:熊谷達子作)の実物をじっくり見ていると、自然と感涙‥!セイコーのひよこたちの人形アニメは倒れそうなほどの可愛らしさ。高度経済成長期の時代の熱量に胸が熱くなりました。6/2迄 pic.twitter.com/KFvCh4ovu1
— 宇山あゆみ (@canariarock) May 27, 2019
熊谷達子さんが生み出した人形たちは、表情豊かでぬくもりがあり繊細で、見る者を物語の世界へと導きます。
谷内六郎さんと結婚後、妻である熊谷達子さんは、谷内六郎さんの喘息の看病をするために人形制作はやめたのだそうです。
熊谷達子さんが強い愛情を持って、画家である谷内六郎さんを支え続けたからこそ、25年間も週刊新潮の表紙絵を描き続ける事ができたのでしょう。
谷内六郎の娘は谷内広美(たにうちひろみ)
谷内六郎さんと熊谷達子さんは2人のお子さんがいらっしゃいます。
1962年に長女の広美(ひろみ)さんが誕生しました。谷内六郎さんが40歳の時に生まれたのですね。
もう1人のお子さんについては情報が得られませんでした。
長女の谷内広美さんは現在、美術館のトークイベントや、横須賀美術館のアドバイザー、講演などをして、父である六郎さんの広報活動をされていらっしゃるようです。
また、谷内六郎さんの生誕100年・没後40年を記念した画文集『谷内六郎のえのぐ箱』の編集もされています。
下記Twitter投稿の写真左側の方が谷内六郎さんの長女、谷内広美さんです。
谷内広美さんと。額の中の絵は、広美さんが生まれたときに谷内六郎さんが広美さんを描いた作品(なんと初公開!)
この後24:20より、Eテレ『青山ワンセグ開発』放送です! 谷内六郎さんの絵と、詩の朗読のコラボレーションをお楽しみください◎ pic.twitter.com/4G6Sn862ko— 文月悠光|Fuzuki Yumi (@luna_yumi) June 12, 2014
谷内六郎さんは、子どもが好きで子どもの食事の世話も積極的にされていたそうです。
子どもとお手製のおもちゃで遊んだり、即興のおとぎ話を聞かせて寝かしつけるのも谷内六郎さんの役目だったとの事。
長女広美さんによると、父の六郎さんは仕事をするときも子どもと一緒で、絵具もふつうに子供たちが使うサクラの12色の水彩絵具などで、子供を膝に乗せて、炬燵の回りや食卓の上や、家族団欒(だんらん)の場でも気にせず描いていたそうです。
子どもが小学校にあがったらお弁当を作って届けることもしていて、2人の子どもで前後10年、近所の学校へ父である六郎さんも通ったというエピソードもあります。
谷内六郎さんはもの凄く子煩悩なお父さんだったのでしょうね。
でも一方で、集中して描いているときには鬼気迫るものがあり、近寄り難い感じもあったのだそうですよ。
59歳でこの世を去られた谷内六郎さんですが、長女の広美さんは、それが寿命だったと実感しているそうです。
父である六郎さんは、ふつうの人の何十倍も仕事をしたので、終る時がきたのだと理解したとの事。
「週刊新潮」の表紙絵だけでも1300点余あるそうですが、それは全仕事の3分の1くらいで、それ以外の仕事が膨大にありました。仕事の性質上、谷内六郎さんは絵を売るということをしなかったので、作品のほとんどが家族のもとに残されたのだそうです。
長女の谷内広美さんは父である六郎さんについて、病気があったから絵があったと思う、家ではひょうきんな人だったと話されており、とても幸せな家族だった事がうかがえます。
谷内六郎の甥である谷内こうたも画家
谷内六郎さんの甥である谷内こうたさんも画家をされていました。
叔父の谷内六郎の勧めで絵本を描きはじめたそうです。
谷内こうたさんには20冊以上の絵本を描かれていて、日本以外でも、フランス、イギリス、ドイツなど8カ国以上で出版されています。
1971年『なつのあさ』でボローニャ国際児童図書展グラフィック賞受賞、1983年『かぜのでんしゃ』で講談社出版文化賞絵本賞を受賞など、数多くの受賞をされています。
1990年代には叔父六郎も担当した『週刊新潮』の表紙絵も手掛けたそうです。
1983年にフランスのルーアンに移住されたこともあり、谷内こうたさんの著作の多くは休版(現実的には絶版状態)なのですが、『なつのあさ』はその一部の例外で、比較的手に入りやすい絵本です。
谷内こうたさんは2019年にルーアンにて、この世を去られました。
まとめ
ノスタルジックな昭和の風景を描いた画家の谷内六郎(たにうちろくろう)さんは、週刊新潮の表紙絵を25年間も描き続けた事で有名ですが、ご家族はどのような方なのか調べてみました。
谷内六郎さんの奥さんは熊谷達子(くまがや みちこ)さんという方で、元々谷内六郎さんのファンでした。
妻である熊谷達子さんは、1950年代後半を中心に人形作家として活躍されていましたが、結婚後は夫である谷内六郎さんを支える事に専念されたようです。
谷内六郎さんには2人のお子さんがいて、長女は谷内広美(たにうちひろみ)さんです。
長女の広美さんは現在、美術館のトークイベントや、横須賀美術館のアドバイザー、講演などをして、父である六郎さんの広報活動をされていらっしゃるようです。
また、谷内六郎さんの生誕100年・没後40年を記念した画文集『谷内六郎のえのぐ箱』の編集もされています。
谷内六郎さんはとても子煩悩な父であった事を明かしていらっしゃいます。
谷内六郎さんの甥の谷内こうたさんも画家をされていました。
谷内こうたさんには20冊以上の絵本を描かれていて、『なつのあさ』でボローニャ国際児童図書展グラフィック賞受賞、『かぜのでんしゃ』で講談社出版文化賞絵本賞を受賞など、数多くの受賞をされています。
谷内六郎さんは、体は弱かったものの、とても素敵な家族に囲まれて幸せで充実した日々を送られたのですね。
手島圭三郎(てじま けいざぶろう)さんは、北海道紋別市出身の版画家、絵本作家で、野生動物を主人公にした数々の絵本の作者として広く親しまれています。写実的な描写と、幻想的な光景が組み合わさった版画は見る人を魅了します。そんな手[…]
多彩な才能を持つ芸術家のタイガー立石さん(本名は立石紘一/タテイシコウイチ)ですが、プロレスラーのような響きの名前が印象的ですよね。タイガー立石さんのポップアート、ギャグ漫画、絵本、陶彫は、変幻自在で摩訶不思議な作品が多く、とても印[…]